「先達詩人表彰の日の天野忠さん」

 『ノッポとチビ 63号』(昭和63年7月15日)に大野新さんがこんな詩を書いている。

  「先達詩人表彰の日の天野忠さん 銀座ガスホールで」

  スリッパにははかれる方向があることを

  天野さんの足をみながら思っている

  右肩が私の左肩にすがって

  首振る足がスリッパをはこうとしている

  泳ぐ足とにげるスリッパの意志とは

  なかなかあわない

  「人生の達人」*といわれる天野さんの足は

  生来器用ではなかった

  「ときどき ユメの中で

   大きなものと格闘した。」**

  プロレスの好きな天野さんは

  どんな足わざをしかけたか

  ライトバースの足ばらいはよく効いた

  ちょっと紹介しただけで大笑いだった

 *三好豊一郎

 **「伝記」部分

 1988年に天野さんが「日本現代詩人会」から『先達詩人への敬意』を贈られたときに、大野さんが東京まで一緒に付添われたのだったのではなかったか。この詩は読んだことがあるような気がしますが、どうなのでしょう。この年天野さんと一緒に『敬意』を贈られたのは菅原克巳さんでした。

 ところでこの63号に天野忠さんが寄せている詩はこれです。

  「壊れ物」

  私は老化して

  足萎えになった。

  足萎えじいさんになっても

  「適当」な運動をつづけねばならない。

  よぼよぼと道をすこし歩き

  すぐに疲れて

  そのへんの家の塀や垣や

  ときには電信柱に凭れかかる。

  あるときは

  いきなり他人の肩に凭れかかって

  びっくりした相手に謝ったことがある。

  凭れかかるものが何もないときは

  仕様がないから

  大地にへたばって一服する。

  このあいだも

  小さな飲みやの前に放り出してあった

  小さな椅子に危うく腰かけ

  ふうふうといきをはずませていたら

  内から

  おやじが声をかけた。

  ――気ィつけや

    その椅子は壊れもんでっせ。

  ――有難う。

  私はそっちへ軽く会釈した。

  それからしばらく

  壊れものの上に居て

  壊れものが

  道行く人を

  しずかに眺めていた。